2004-12-01から1ヶ月間の記事一覧

真言秘密

真言密教は「全てを響き」と見ることが奥義としてある。全てのものはエネルギーの共鳴であるのである。

感覚修行の危険性

イメージ、感覚の修行は、常に「検証」を経させなければならない。こうした修行は往々にして「肥大化」を招くものである。

続・陰打

植芝盛平は、相手の攻撃を「白い光の粒」として見た、という。これは陰打のひじょうに顕著な表れである。

陰打

印打は、陰打である。これは『荘子』の包丁の話と同じ。虚になっている部分を打つのである。

水の呪術と火の呪術

太古、呪術には「火」の呪術の集団と、「水」の呪術の集団があったのではなかろうか。インドの密教などは「火」の集団である。これに対して気などは「水」の呪術である。神道の禊なども「水」である。これがある時に融合する。東大寺のお水取りは、日本の古…

不老不死

仙術では「不老不死」を追究することで「死」を見つめた。「老」「病」「死」を見つめて悟りを得た釈尊と同じ立場にあったのである。

式神

式神とは「抑圧された意識」をシンボライズしたものに他ならない。呪術として式神を使うことは古代の陰陽師をおおいなる幻想の誤謬に導いた。

鎮魂石

石の命はゆっくりと流れる。ゆえに活動は顕著ではない。石も風化して最後には無くなるが、それは人間の死よりもはるかに長い時間の中で起こる。こうしたゆるやかな生命の流れに同化するのに使われるのが鎮魂石なのである。

洞天福地

洞も暗い空間を暗示するものである。「玄」と同じ。日本では「うつぼ」と称された。かぐや姫が竹の節の中に居たのと同じである。閉鎖された闇の空間はエネルギーを増大させる。

特命係長只野仁

ふと見るとコイーバシガレットを吸っていた! これは実に良い煙草である。

行為の体系

套路とは「行為の体系」である。套路を通して自らの「行為」を変えることができる。

呪縛への道

本来の自己を見出す自己開放への道が、修行であるはずなのに、外的な事象に捉われて「呪縛への道」を歩んでしまうことがある。古武道などには顕著に見られる誤謬である。幾ら流派の先人に偉い人が居たとしても自分が即それに重なるわけではない。

祖竅と玄関

本来の自分の姿に還るのが、道の修行である。それを「祖」竅を開く、という。また宇宙の根源にある闇としての「玄」関も、根源への回帰を示すものなのである。

これは座興じゃよ!

植芝盛平は、合気道の技法をこう言った。これは意味の深い言葉である。植芝盛平は古代人の感覚を持った稀有な人であった。

天機を盗む

全ての修行はこれに尽きている。他のものは「飾り」に過ぎない。具象化されたものは全て古代の人たちが「暇つぶし」に造ったものなのである。

闇祭り

古代祭祀の空間は「闇」であった。これは「玄」と共通するものがあるのではないか。暗い原初的な意識の状態を示すものではないか。

冬の稽古

冬は生命が動きを止めて、その力を養う時である。ゆえにトウ功などを主に錬ると良い。

植芝盛平開祖

「秘伝」に出ている植芝盛平開祖の立ち姿は、実に美しい! これこそが虚霊勁頂である。

礼を欠く

現在は「礼」が乱れている。これは「秩序」が崩壊していることを示すものでもある。社会のシステムの崩壊が、礼の欠如として表れているのである。

楊家太極拳再考

武派、呉派といった楊家と古い時代に接触を持った門派においては、形式はそれぞれ異なるものの拳譜に驚くほどの差異が見られない。その理由は何であろうか?

楊家太極拳考

楊家の拳譜は、古い時代から変わっていない。この原因は考える必要がある。露禅時代にかなり完成した「楊家太極拳」が出来ていたのである。

先天の神と後天の神

先天の神は「理性」の源であり、後天の神は「意志」の根源である。通常の人では後天の神のみが主として働いている。

学ぶべきこと

套路を通して学ぶべきことは「道理」「節度」「品格」「身体の力」である。

新しい世界を開くための套路

これには「行為」と「力」と「意識」の三つが求められる。それらを貫くのが「無為自然」なのである。

部分と全体

個々の知識を増やすことが大切なのではない。「全体」を知ることが大切なのである。「全体」とは「一」である。全てを統合するものである。

体と用

「体」だけでは修業を進めることはできない。「用」だけでも不可能である。「体」と「用」とが共にバランスよく保たれていなければならない。

シンボルの力

シンボルの力を感じたならば、それを実践すべきである。感じるだけでは先天と後天の世界の分離を開放することはできない。行為は必ず「結果」を伴う。「結果」はまた「検証」されなければならない。

師の導く門

人は生まれてから後天の世界に根ざす「世界観」を培ってきている。これを壊し、先天の世界の門へと導くのが師の仕事である。世界観を捨てることは修業者には最も難しいことでもある。

祖気

これは家の気である。祖先から受け継いだ気である。これはDNA情報として科学的にも認められるものである。

虚と先天の気

先天の気とされる「理」は「虚」である世界にのみ存している。「虚」的世界にのみ「出会い」があるのである。まさに「玄」なる世界なのである。「実」である物を幾ら眺めていても「法則」を見つけることはできない。そこに「虚」的な視点がなければ「法則」…