2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「土」を知る

人は木、火、金、水のいずれかのエネルギーの特色を持っている。大切なのは、それらを通して「土」を知ることにある。「土」を知るとは「他」を知ることでもある。「自」を知り、「他」を知ることで、「知」は「一」を得たものとなる。

後天と先天

後天の世界は、先天の世界と別にあるのではない。二つは重なり合っているのである。理論を押し詰めて行けば感性の世界に入るし、感性はより深い理論へと導くものなのである。これは古代インドの精緻な哲学体系を見れば良く分かる。

歩法を練る

歩法を練ることは八卦拳に限らず重要とされている。それは歩法が身法の全てに関わるものであるからである。正確な歩法を得れば、日常の生活すべてが功を練る行為となり得る。

銅鐸に描かれた多数取り

神戸から出土した銅鐸には、多数取りを示すと考えられる図がある。人物の線といいよく力の関係が示されている。太古武術の秘図であったのであろう。

常世と常夜

先天の玄なる世界は永遠の世界でもある。本来、神仙術はこうした世界を追究していた。不老不死である。しかし、これが肉体的な不老不死と誤伝されて誤謬の歴史が始まった。その最たる時期は唐代であり、多くの人が水銀を飲んで亡くなった。常世とは永遠の世…

無極と太極

無極は先天、虚の世界である。太極は後天、実の世界である。無極と太極とは完全に重なっている。先天の世界は、我々の身の回りに偏在してはいるが、決し捉えることはできない世界である。

胎蔵界

胎蔵界も玄なる先天の世界を指す語である。これに対して金剛界は、後天の世界のエネルギーの流れを重視している。胎蔵会は無極であり、金剛会は太極であるとも言える。

玄関

日本では家屋の入り口を玄関と称すが、内丹術では「玄牝の門」を玄関という。しかし、アフリカなどでは家屋そのものが「胎」となっており、古代の家屋においては、須らくその入り口が「玄牝の門」と称されるべきものでもあった。こうしたことを考えると、玄…

玄牝の門

玄牝の門とは、先天の世界に入るための門である。先天の世界は「玄」であり、闇の世界でもある。日本では「とこよ(常世・常夜)」っと称せられた。

多数取り

多数取りの場合は、空間に一点を見出す。これが「一」である。「一」に還元するのが多数取りであり「一」から敷衍させるのが套路の稽古なのである。

粘勁

粘勁で粘りつくのは、身体の表面ではない。相手の身体の奥深いところにある「一点」を見つけるのである。この極小の一点は、相手の身体の全体を支配するものでもある。中庸とは「それを小さくすれば極小の存在となり、それを広げれば宇宙の彼方にまで広がる…

ラックススーパーリッチ

CMで打ち込まれた剣を払い飛ばすシーンがある。これは粘勁の極地でもある。「力の一点」を使うのが粘勁なのである。(この映像はラックスのサイトでも見ることができる)。

アイスマンと経絡治療

数千年前の人物とされるアイスマンに経絡治療を思わせる刺青があるという。これはひとりの天才の感覚が生み出したものであろうが、体系化されることがなかったので廃れてしまった。

先天と後天の合一

大東流から「導引術」を見出し、技を選んだのは、植芝盛平の「感覚」であった。それを核として、技法大系を見直すのは「論理」であり、後天の気の働きに依らなければならない。

合気道で開かれたもの

合気道では導引術としての道が開かれた。しかし、大東流には幾つもの導引術としての形があった。これは充分には活かされることはなかった。

旋腕

旋腕は合気道の二ヶ条、四ヶ条、五ヶ条と同じである。 こうしてみると「関節の滓を取る」とされる合気道の関節技の意味と効用がよく分かる。

旋肘

経絡を開く、という意味においては、 旋肘の1は、合気道の四方投げと同じ働きをする。 旋肘の2は、一ヶ条と同じである。 旋肘の3は、三か条と同じである。

伏見稲荷の記

一山すべての参道に延々と列なる鳥居、鳥居!これらは信者の寄進によるもの。「欲望」のエネルギーの形というべきか。ただこれは最も素直な表現であり、一概には否定されるべきものではないであろう。

伏見稲荷参拝記

革靴に背広をまとったいかにも「中小企業の社長」といった感じの人たちが多く参拝しており、一種の熱気と他の宗教施設とは異なる雰囲気を感じさせるものがあった。写真は狛犬ならぬ「こま狐」〜怖い顔をしている

伏見稲荷

神社としては狐「霊」との関係を否定したいらしいが、やはり信仰の面からすれば「おきつね」さまでなければならないらしい。 右の写真は絵馬

自然との一体化

日本では「自然」を観念化することで、自らの脳内に取り込んで一体化をした。中国ではその中に遊ぶことで一体化を求めた。絵画の中に小さな人物の描かれているのは中国絵画の特色である。

当身

当身には剛と柔との違いがあるが、剛の中には柔が含まれていなければならないし、柔の中にも剛がなければならない。「加える」のではなく「含ませる」のである。故に柔術の修業者が空手の練習をしても意味が無いし、空手の修業者がサンドバックを打っても本…

柔術の形

当身から投げに繋げる形は、最も実戦的であるといえる。この意味において日本の柔術は優れた形を残しているのであるが、当身と投げを如何に連続させるか、の秘訣は多くが失われている。

那智滝図

那智滝図は、意識の中の自然を描いたものではなかろうか。神体としての滝は、この世(後天の世界)にあるのではなく、意識の世界(先天の世界)にあるのである。

世界聖典全集

カッパブックスの『合気道入門』にある黄金体化の体験の解説にウパニシャッドが使われているが、これは世界聖典全集に依るものである。埴谷雄高の『死霊』は同全集のジャイナ教典、折口信夫の『死者の書』は、エジプトの死者の書から発想のヒントを得たもの…

皮の球

太極拳の勁は皮の球に例えられるが、これは動作の最後が皮の球を押しているような弾力を感じることをも意味している。これをオーバーにしたのが鄭子である。

玄の力

亡くなる直前に内気は最大の働きをするという。偉大な宗教者が亡くなった時に、時ならぬ花が咲いたり、雷鳴が轟いたり、地鳴りがしたりなど、超自然現象が起こるのはそのせいである。死の直前は「玄」の力に最も近くなっているのである。

黄金体化

植芝盛平の問題点は、最後まで黄金体化の神秘体験から抜けられなかったことである。感覚世界のことはあくまで「虚」でなければならない。

水と火の人

世には水と火、そして金と木の人がいる。大きく分ければ水(男)で火(女)であるが、必ずしもそうとは限らない。木は乾卦、金は坤卦、水は坎卦、火は離卦と考えている。

続・鎮魂石

多摩地区の某市の市長は、所縁の石を常にデスクの隅において、大事なことを決定する時には、これを見てこころを鎮めるという。