2004-06-01から1ヶ月間の記事一覧

夏目房之介

同氏が八卦掌を習っているという。Webにも書かれている。太極拳も習ったらしい。円周上を周るだけのもののようであるが、体が変わった、というから、さすがに鋭い感性をしているものだ、と感心させられる。

『老子神化』

若手の研究者が中心となって編んだ道教の世界シリーズの一冊で、老子を解説している。読み物としては、よく書けている。中国思想になじみのない人でも読めるであろう。『陰符経』の世界観をより深く理解したい人には参考になろう。一度は目を通して頂きたい…

商標登録

中国の少林寺が「少林功夫」「少林武術」などの商標登録を各国で進めているという。坊主にあるまじき強欲なことであり、困ったものである。この一点をしても、そうした申請をする価値は彼等にはないであろう。日本ではおそらく無理と思われる。歴史的には今…

夏の特別展

夏といえば「幽霊、お化け」の季節!!川崎ミュージアムとオリエント博物館で今年は展覧会がある。 川崎の方は、マニアの学芸員がいるらしく、かなりのレベルが期待される。オリエントは「幻獣」だとか。 古代悪魔教が・・・!

八大掌

古い会員の方には太極拳を学んでもらっている。これは「博」に属する部分で見識を広めてもらうためでもある。また技術的には推掌を基礎に八大掌を作ることもできる。八大掌は、他派の技術を取り入れて八卦拳というシステムのエントロピーの増大を抑える働き…

陳家小架式

小架式のロウ膝ヨウ歩と八卦拳の四象拳の動作に類似のあることが気になっている。小架式は、所謂の「老架」式より、古い形式を残している部分もあるのではないかと思われる。小架式は老架式のみを伝え、大架は老架、新架、砲捶など幾つかの套路を生み出した…

諸道に触る

『五輪書』には、こうある。何事も興味があれば体験してみれば良い、というのである。しかし、淫してはいけない。これはマニアの世界である。執着を離れることが諸道に触ることである。「博」の世界である。「博」は「精」を助けるものでなければならない。…

続・植芝盛平の感性

植芝盛平の内的世界を知ることのできる『武産合気』『合気神髄』は合気道の聖典ともいうべきものであるが、合気会は余り関心がないようである。組織を維持しようとするのであれば、「形に捉われてはいけない」などは、余り言って欲しくないことなのかもしれ…

植芝盛平の感性

剛柔相摩、八卦相トウを、既に植芝盛平は指摘している。「水火の擦れ合う響きによって」というような言い方であるが、独自にこうしたエネルギーの動きを感得していたらしい。修行がある段階を超えると、自然に奥義書に記されているようなことを体験すること…

八卦相トウ

八卦とは「全身」を意味する。トウ[湯皿]はエネルギーの沸き起こることである。太極拳、八卦拳など内功を主とする武術のこれは根幹である。武術が大衆化される段階で、こうした技法は秘されてしまった。形意拳の雷声もトウに関する技法である。

動物裁判

西洋中世史学者の池上俊一の著した『動物裁判』を読む。鯨やイルカに就いての西洋人と日本人との意識のズレを感じることはよくあった。最近では牛肉においても。そうした動物に対する意識のズレの根源を理解するには面白い本である。牛肉などの問題でも、西…

まいまいず井戸

今日は会員の方々に「まいまいず井戸」を見学して頂いた。らせん状に掘られた井戸。これが関東のごく限られた地域でのみ見つかるという。中からは「国」「古」の墨書と共に「牧麻呂」と書かれたものも出土している。これは井戸を神格化した名前ではあるまい…

ルネサンスの音楽

レコード店で適当に買った「ルネサンスの音楽」を聴く。真言とは「言語を超えた言語」である。音楽もそのひとつ。空海は「響き」と称していた。心に響く音である。静を重視するのは、本当の音を聴くためなのである。

呼吸

社交ダンスを練習している時に、以下のような発見があったという。「リーダーと呼吸を合わせると、彼のリードのほんの少し前に、彼の意図が伝わってくるのだ」(黒川伊保子)これは、まさに合気である。太極拳の推手もこうした練習であらねばならない。単に…

気と神

実際において中国人の間では「気」ということは余り言われない。多く用いられるのは勁であり、神(意)である。勁や意を統合する言葉として「気」があるのだが、やや大きな括りになるので、実地の指導では使いにくいようである。日本のような「以心伝心」の…

母拳・母掌

母拳、母掌は中庸でなければならない。中庸とは技法として表れる以前の形でなければならない、ということである。未発の形であり、未発の勁が有されていなければならないのである。八卦における八大掌と八母掌の違いがここにある。八卦拳における八大掌は八…

続・虚霊頂勁

植芝盛平の写真を見ると実に正しく虚霊頂勁が利いているのが分かる。これには胸と肩甲骨が正しく開かれていなければならない。鼓腹提胸であると、虚霊頂勁が正しく働かない。

続・四股を踏む

陳家の金剛搗碓も「四股」の名残である。八卦の歩法も同じ。故に一般の八卦「掌」の歩法は採らない。四股で重要なのは足が垂直であること、体が真っ直ぐであることにある。考えてみると、ひじょうに普遍的な身法であることが分かる。禹歩もこうした観点から…

黒い太陽

運命の環が、次の段階に至ろうとする時、何らかの障害が生じる。錬金術では「黒い太陽」と称する。腐敗の時である。腐敗を醗酵にするのが技術である。そう導くのが套路である。黒い太陽の時期に入ったら、なるべく無心でその時を過ごしてみると良い。時期を…

四股を踏む

日本の武道の源のひとつに相撲がある。しかし、相撲の武術としての伝統は早くに絶えてしまった。柔術は剣術から出たものである。純粋な素手の技法は相撲にあった。その核心である四股も真義が忘れられてしまった。これは通臂拳に伝わる功法を見ればその謎は…

自強不息

王樹金のことを書いた『自強不息』を読む。「武術を職業にすると、武術が荒れる」というのは面白いし、その通りである。他には「中途半端に賄賂を渡すから問題となる。全員に配れば問題にはならい」とあるのも中国人的な考え方で面白かった。武術に関しては…

滋味を知る

修行を継続するには、滋味を知らなければならない。太極拳、八卦拳に関わることの楽しさを実感できるべきることが望まれる。「生」「殺」が常に変転するように、全てに捉われてはならない。人生において、こうした大楽を得ることは実に幸福なことである。

合気

大東流の合気と、合気道の合気は全く別物であるから比較ても意味が無い。また、大東流の合気と発勁を別もののように言う人もいるが、これは同じである。浸透勁、冷勁、化勁と称される発勁の段階が合気なのである。

両儀堂三奇書

『合気道の神道原理』『導読「拳意述真」』『太極拳秘冊』は、両儀堂の三奇書である。『合気道〜』と『導読〜』に手を入れてpcに入れようと考えている。この後、八卦拳関係では、八卦拳の優れた論考を集めた『八卦拳集錦』、内丹道から太極、八卦の拳を解…

孫禄堂

孫禄堂の『八卦拳学』を改めてメール・マガジンで取り上げている。八卦に関しては必ずしも良質な情報を得ているとは言い難いが、実に深いところまで洞察が及んでいるのには驚かされる。何処で孫禄堂が、こうした武術の深奥に出会ったのか。著書の分析を通し…

至玄、至妙

あるひとつの感覚が大きく身体を開くのに寄与することがある。それは、しかし、ごく微細なものに過ぎない。内面を変える大きな作用は、むしろ、そうした微細なところにあるようである。道書に「至玄、至妙」と形容される所以でもある。

古代において貴人や宗教者は笏を持つことが多かった。これは、どうやら姿勢の矯正にあったように思われる。それ以前は手を組んだり、合わせたりしていたのであろうが、中国で考案された笏は、太古の聖なる姿勢を改めて呼び戻す利器であったのである。類似の…

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン〜その3

その音楽の根源は「静」にある。深い「静」の心境から生まれたものであることが分かる。音楽とは「動」の世界である。その中で「静」を表現することは容易ではない。「静」の本質、まさに一静を理解していなければ不可能であろう。八卦の走推掌や鄭子太極拳…

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン〜その2

「ヒルデガルトは、ひたすら女子修道院にこもってヴィジョンをはぐくむ、単なる幻視者ではなかった」「そのヴィジョンを根拠にして癒す医者であり、医学史家だった。医薬調整のための植物、動物、鉱物の観察研究に没頭した。最晩年には宇宙論を口述した。中…