2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧

言葉を感じる

「求めていくということは、自分がそこに達するということですから。だから『ああなるほど、先生の書き残されたのはこれだな』というところまで技が達した時に初めて先生の言葉がわかるわけです。だから先生の言葉だけを横に置いておいて技をしても、そこに…

源博雅

玄象なる名器を鬼に盗まれた博雅は、羅生門でその音色から鬼が玄象を弾いていることを知る。そして、その音色を褒める。すると鬼は琵琶を返したという。ここで鬼に「琵琶を返せ!」と言っていないところに妙がある。無心の感動が共有されたのである。無心の…

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

NHK・FM「バロックの森」を聞いていたら、ひじょうに強烈な霊的パッションを感じる音楽があった。調べてみるとヒルデガルト・フォン・ビンゲンという神秘家の作曲であることが分かった。この人はかなり深い意識を感じていたのであろう。感じたものを、…

虚霊頂勁

これは太極拳の要訣であるが、ヨーガのクンダリニーなども同じことである。仙道では進陽火と称される。しかし、大切なのは、ひとつの文脈、体系の中で、それが起こらなければ意味が無い、ということである。

連綿不断

連綿不断とは、動作の連環性の密なることで生まれる。これは内面の充実を待たなければならない。陰は陽を含み、陽は陰を含むである。前の動作に、後の動作を導く兆しを有する。兆しは「定」で内面を充実させておかなければ生まれてこない。それが生まれると…

西江水

西江水は、禅の言葉であるが、新陰流の極意でもある。西江という川の水である。太極拳では「連綿不断」ということ。無為自然と同じである。意図したのでは、何処かに断絶が生まれる。 無為自然であるから、自然の流れが生じ、途切れることがない。自ずから生…

寒食帖

蘇軾の名筆に「寒食帖」がある。故宮博物院で何度も目にしたが、これは「本人をしても、もう二度と書くことはできないであろう」とされる程の優れた筆使いを見せている。『魂のスポーツマン』には、こうした事例が多く紹介されている。この天恵ともいうべき…

勢と呼吸

ある期間を過ぎると呼吸の鍛錬の必要性が生まれる。呼吸は勢を生み出す。この勢が軽霊さを生み出すことになる。太極拳などは、全てが「勢」であるとする。太極拳十三勢とされる所以である。十三は八卦と五行で十三となるが、これは「全てが」ということの象…

否卦と泰卦

本来、人間は泰卦の状態であった上に「陰陰陰」があり、下が「陽陽陽」である。しかし、成長につれて下の二つの陽が、上の二つの陰と交代をする。ここに離卦と坎卦が完成する。しかし、先天真陽の気が強いと二つの陽ではなく、三つの陽が移動してしまい。否…

ダウジング

これはOリングテスト等とも同じで、微細な意識情報を読み取ろうとする方法である。この場合の「意識情報」は、通常は本人にも認識できない微細なものである。それを増幅させる方法としてダウジングなどがある。武術においては、こうしたレベルの情報が操作…

軽霊

軽霊は「平衡」感覚から生まれる。「平」はバランスが取れていること。「衡」はそれぞれが協調しあっていることを意味する。軽霊は中丹田がそのセンターとなる。

総統就任式

アメリカでは聖書に手を置く姿が印象的であるが、中国では印璽が象徴的である。古代日本の群雄勢力に授けられた金印を思い出した。印璽は権力の象徴であった。その前は鼎。鍋である。生活に一番、大切なものが「権力の象徴」となったのである。

世家(せいか)

家を伝えるのは容易なことではない。道教の天師道を伝えた張家は2000年余り、儒教の孔家は2500年ほど、これだけの間、男子を生産し続けたわけである。両家とも本宗家は台湾に渡っている。

良寛の手紙

「災難にあう時節には、災難にあうがよくそうろう」続いて「これは災難をのがるる妙法にてそうろう」とある。これは運命学の奥義である。適切な時に、適切に運命の環を完結させなければならない。そうでなければ、次の環が開けてくることがな。

知るは難く、行うは易し

かつては「知るは易く、行うは難し」であった。この「知る」とはイメージの力で全体を把握することであった。太古の人たちはイメージの力が強く論理的思考が苦手であった。バベルの塔も、出雲大社の社殿もイメージの世界では建設が可能であったが、実際の技…

推手考

太極拳における推手は感覚を養うものであるが、同時に体を開く導引の効果も有している。太極拳には柔軟体操のようなものは無い。それはこうした練習の中に組み込まれているからである。体、特に経絡を開くには、動作(用法)を踏まえた上で行われなければな…

二刀剣

静岡県で行われる「おこない」祭祀では「両剣の舞」なるものがある。二刀を交差させながらの舞いで、中国武術の双剣の操法に近いものがあるようである。双剣は神事的なもの(道士の祭祀)と関係があるのかもしれない。

続続・ショウ泥歩

地面を滑るように歩くのは、直線を歩いて練習をする時の歩法である。これで走圏を行おうとするので、内側の擺歩が取れなくなってしまう。扣、擺歩が共にないと八卦の歩法の意味をなさない。

遅読のすすめ

スロー・ライフを知ることのできる一書といえる。たいした内容はないので、数時間で読める。 『ケルト巡り』もそうであるが、最近は内容の薄い本が多い。ただ、余り詰め込みすぎると、読む人が無くなるのかもしれないが・・・。

ケルト巡り

ユング派の心理学者で文化庁長官!でもある河合隼雄の著書である。神秘的思想に現代人がどのように向き合えば良いかが、よく書けている。 神秘思想に関わる人は、一度、目を通しておくべき。ケルト文化そのものに沈潜してのものではない。 深い内容ではない…

続・ショウ泥歩

歩法を重視する八卦門であるが、各派に依る違いの大きさはよく指摘されるところである。踵から落とす歩法と、地面を滑るように行う歩法とがあるが、これらは全て腰をスライドさせる身法と歩法の基礎を身に着けるためのものである。どちらも正しく練習すれば…

ショウ泥歩

[足尚]泥歩とは、歩くときに足の前半部に力を込めないことである。こうすると平起、平落の歩法となる。通常、人は歩くときに足の前半分に力を込めるが、こうした歩き方では、足の裏の感覚が育ってこない。太極拳では、後ろに歩くことで、こうした歩法の鍛…

陸地の水泳

鄭曼青は太極拳を陸地の水泳と称していたが、水泳と太極拳では呼吸が全く異なる。太極拳においては如何なる時でも、呼吸を止めることはない。ボクシングでも、パンチを放つ時には、息を吐く。空手の息吹では、筋肉を固めるが、それでも息を吐いてる。中国武…

ペトラ

ヨルダン王国にあるペトラという古代遺跡では岩そのものを聖なるものとして崇拝していたという。あるいはピラミッドなども、そうしたものであるのかもしれない。 古代日本においても石、岩への信仰があった。石の宝殿は有名であるし、古墳もかつては葺石で覆…

偶然の機会

時に調子がひじょうに良い時がある。いままで出来なかったことが偶然に出来たりすることがある。こうした機会の感覚を逃さないようにする。そして、再び「偶然の機会」の訪れるのを待つ。これを繰り返すことで、枠を越える稽古が可能となる。それは天恵とで…

漂木勢

八卦門の走圏時における腕のあり方として「漂木勢」の拳訣がある。二つの力が拮抗しているので、あたかも水に浮いているような感じになっているのである。つまり、簡単にいうならば左右の力だけがあって、上下の力は働いていない、ということである。これが…

鄭子太極拳

手の動きをひじょうに少なくすることで、身法をより明確にしようとした。本来、太極拳の手、足の動きは身法の影響の元に現出しているものなのである。デフォルメされた部分を切り落とすことで、元来の動きがより一層、明らかになっている。

呼吸の伝承

植芝盛平は「合気舞い」ということを言っていたが、これは武術よりも、むしろ芸能に「呼吸」が伝承されていることを感じていたからであろう。音楽は呼吸を伝え易い。 素読や百人一首のカルタなどが行われなくなったことは、呼吸の伝承に大きな弊害である。中…

カルマの環

無為自然であるとは「カルマの環」を完結させることにある。 多くの人は、その環終末にあって迷い、考えて、途中で方向性を変えてしまう。 こうなるとカルマの環は完結されない。 完結されない環は無限に同じところを循環する。 最後に無為自然であれば、カ…

妖怪と怨霊の日本史

古代における日本史の流れを妖怪と怨霊をキーワードに概観した文献であり、面白い史料を引いているが、読み仮名の誤りも少なくなく、また史実の誤認も幾つかある。 平家の滅亡と共に三種の神器である草薙剣も海に沈んだとあるが、この本物は熱田神宮に納めら…