2004-10-01から1ヶ月間の記事一覧

力、神、意

力と神と意が合一したところに太極拳や八卦拳の「勁」が生まれる。神とは「感覚」のことであり、意は「気分」のことである。これらはまとめて「勢」「精(纏絲精)」と称しても良い。

套路と生活

套路は生活そのものであり、生活が套路となる。内実において同一のものとなるのが望ましい。また套路は生活のシンボルでもある。套路を見ればその人の「生活」が分かる。

イザナギ・イザナミ

この神名は海が波だっている状態と、凪いで居る状態とを示したものである。ここにあるのは「水」と「風」の関係である。「風」は呼吸であり、大気でもある。 これに「水」である気血が動かされる。

準備をする

「力」がつくと、次には別の、或いはより強力な「力」と出会うことになる。無闇な「出会い」は不幸な結果を招くだけである。妖刀や呪われたダイヤなどの類は、こうしたものである。「力」を知る者は、特に「出会い」には注意しなければならない。

感覚を磨く

感覚を磨くには日常生活を修練の場とすることが重要である。そうならなければ本来の武術の場である日常生活に対処することはできない。練習の時が、本来の武術の場ではない。練習はあくまで練習である。

感覚から得られる力

筋力を何倍にも使おうとする時に「感覚」が大きな要因となる。筋力は単純な力であるが、感覚が生み出す「勁(ちから)」は複雑であり、多くの変化を含んでいる。これは年齢を重ねると細かになり、多くの勁のポイントを得ることができるのである。

続・力の中心

幾つもの力の中心を得ることが、力を溜めることになる。通常の「武術」はひとつの中心をのみ求める。そのため狭い部分(格闘技術)にしかそれを使えない。

力の中心

感覚を開くことで力の中心を知る。力の中心は身体にも套路にもある。そして套路を打っている空間にもある。

武理と武力

太極拳や八卦拳では「武理」を得て「武力」を得ようとする。通常の武術は「武力」のみを得るに止まる。「武理」なき「武力」は蛮勇である。

力を得る

「力」は自らを破壊に導く。これが単に破壊で終わるのか、再生を伴う換骨奪胎になるのか、の分岐点では、非常に危険な段階を通過しなければならない。正確な套路の必要とされる所以である。

続・力を集める

4種類とひとつの力を集めることができたならば、それ以上の套路は必要なくなる。修行者は、自らが4種類とひとつの力を集め得る套路に出会うまで探求の旅を続けなければならない。

力を集める

套路を練るとは「力を集める」ことに他ならない。「力」は4種類とそれを統合する1種類がある。木、火、水、金と土である。肝、心、腎、肺と推掌である。

慎重であること

套路を練るのは慎重の上にも慎重でなければならない。慎重さ、厳密さの欠けた練習は何物をももたらすことはない。

続・淡交

「執着」は「執着」を生む。自らが執着を捨てることによってしか、他人の執着から逃れる方法はない。

淡交

荘子は、君子の交わりは淡い水の如くである、と教えている。新しい知覚を得ると周囲との摩擦が生じてしまう。これを避けるのが淡交という処世法である。ただ「逃げる」のは、容易ではない場合が多い。

機を知る

行動、知覚、それに機を知ること。この三つが修行において重要となる。機を知るとは、行動の判断を下すことである。いま最も適切な取られるべき行動を選択することである。

師が導くのは門まで

大切なのは、教えの中で何を感じるか、である。漫然と教えられたことを繰り返したのでは奥義には到れない。同じように習っていても進歩に差異が生じるのは、ここにある。

歩法

歩法を導くのは身法である。 下半身と上半身のバランスによって歩法が生まれることを知らなければならない。 歩法が身法を導き、身法が歩法を導くのである。

捨てる

鄭曼青は「捨てる」ことの重要性を述べているが、これはバランスを取って徐々に行われるべきである。余りに極端に行おうとするとリバウンドが生じる。「捨てる」ということに執着が生じてしまうのである。

小成

新しい知覚の方法が一応、身に付いた段階を小成という。 これからは自分の感覚を頼りに修行を進めていくことになる。

套路の必要性

鋭い知覚を持つ者にとっては套路は必ずしも必要ではない。套路は最後には捨てられるべきものとされている。知覚を磨くことができたならば套路の必要性はなくなる。

映画「英雄」

この映画の槍術シーンには驚かされる。槍の奥義が殆ど出ている。武術の教科書にしても良いようなシーンになっている。ただ漢秦時代に、これほど高度な技法が完成していたとは思えない。 字にしても、この頃のものは稚拙な古雅の趣がある。太極拳の槍は戈術か…

韓慶堂の演武

このところ韓慶堂の演武フィルムを見て頂いているが、評価はまちまちである。 しかし、それを通して多くのことを学ぶことができる。優れた演武とは、そうしたものである。

続・套路が提示しているもの

本来の套路の「知覚の方法」が機能しにくくなってる場合には、他の門派の技法を参考にすることがある。これはシステムのエントロピーを抑える方法でもある。『五輪書』でも他流を知ることの重要性を述べているし、新陰流の九箇は当時の各派の奥義の太刀を集…

套路が提示しているもの

ひとつの套路は、ひとつの「知覚方法」を示している。一門派であれば、それは基本的には同じ方向を示しているものである。これに他の門派の套路を加えてしまえば、違った「知覚の方法」が混入してしまうことになり、本来のそれが充分に機能しなくなる恐れも…

間を知る

全ての行為には間(あいだ)がある。これを捉えられるようにならなければならない。間が「土」である。一連の行為は「土」によって繋がっている。「土」を知ることが変化を知ることになる。 間とは「隙間」のことでもある。ニッチ産業のように「間」が分かれ…

順、通、平、衡

武術における最後で、最初の目的とはバランスを得ることである。これには長い時間と努力が求められる。バランスとは相対関係において保持される。それぞれが何であるかを知る必要はない。天秤の右と左の更に乗せられているものが、鉄と金でも、ダイヤモンド…

先天・後天の合一

先天の気を得るのは「開く」段階である。先天の気と、後天の気を合一させるのは「閉じる」段階である。開閉が共にあることで、陰陽が揃うことになる。「閉じる」ことで危険から自らを守ることが可能となる。

套路から学ぶ

套路から理論や思想を学ぶためには自らを「開く」ことが大切である。しかし、自らを開くことには不安や危険が付きまとう。それは従来の生の流れから、一度は離脱することを求める。習い親しんだものを捨てるのは、不安であり、危険なものもである。多くの套…

武術を生きる

武術にはそれぞれ門派独特の戦闘理論(思想)がある。套路や対練を通して、こうしたものを正確に身に着けなければならない。 一旦、理論、思想が身に付くと、これを基準に日々の判断が全てなされるようになる。理論、思想を身に着けることが顧みられることが…