2004-09-01から1ヶ月間の記事一覧

心眼流

映画「AIKI」に後藤派の心眼流の演武が出てくる(2〜3秒)。これは足を高く挙げる歩法がある。やはり屋外の足場の悪いところでは、こうした歩法を練習していなければならない。勿論、八卦拳では、身体を開くという意味合いをも含んでいる。

意と神

「意」とは「意志」のことである。「神」とは「知覚」のことである。修業者は意を用いて、神を繊細なものとする。行為の細部に意が及べば、及ぶほど、神は練られることとなる。

意と気

意と気は密接な関係にあり、それらが協調関係にある時「力」が生じる。 太極拳は、その最も有効な練功法である。しかし、気に捉われて過ぎてはならない。「気」として表されているのは、後天のエネルギーである。

万物斉同

荘子は全てに等しく「道」があるとして万物斉同を唱えた。これは「空の智」を得ることでもある。 「空の智」を得たならば、全ては充実し、全ては価値の無いものとなる。そして、残るのは究極へと努めて歩みを進めることである。

動きを積み重ねる

動きを積み重ねることで、行為、行動となる。太極拳や八卦拳の動きを積み重ねることで、行為、行動となる。これが武術の生活化である。 積み重ねを得るには、動きの根源(土)を知らなければならない。「土」を知るのが定式から変化への移行なのである。死套…

続・滋味を知る

滋味とは、恐らくはそれを知っている人に接しなければ、得ることはできないであろう。滋味を知らない人は、楽しみを求める。多くの套路を覚える楽しみ、技に習熟する楽しみ、仲間と接する楽しみ等等。しかし、本当の滋味は、こうしたものと同じではない。

続・套路と出会う

套路と出会うとは、そこから力を得ることでもある。こうした出会いは極めて少ない。套路を覚えたら、それと出会うべく修練を重ねる。どうしても「出会い」が生じなければ、他の套路を捜した方が良い場合もある。

套路と出会う

本来「套路」は大きな力を有している。故に「出会い」は慎重で無ければならない。もし、相応しくない時期に套路と出会ったならば、これまでの功が失われてしまうこともある。指導者はよく弟子の進度をみて套路を授けていかなければならない。

套路の意味

門派により套路には独特の意味が付与されている。口伝を得ていない門外漢には、なかなかそれを理解することはできない。門内にあっても知らない人が多いのも事実である。

「意味の単位」としての套路

感覚を育てる方途となるのが套路であるが、これにはそれぞれ特別な意味が付与されている。五行拳や八母掌から、連環拳、八掌拳へとそれは複雑となり、より深い意味を持つようになる。

感覚的視覚

「目」でみて情報を得るのが視覚であるが、八卦拳や太極拳を練ることで「感覚的視覚」を得られることになる。「感覚」が視覚化される過程で、時にそれには「幻影」を伴うこともある。「感覚的視覚」を扱うには長い時間と熟練とが求められる。

劉雲樵の馬歩

日本で劉雲樵は、有名であるが、その馬歩の特殊性については余り論じられていないようである。通常は「膝はつま先を越えない」のが原則とされるが、それとは別の基準を有している。しかし、一方で「沈墜勁の図」では膝から下が垂直になっている。

続・ドンファン・シリーズ

アメリカで人気のあったチベット僧であるツルンパであるが、伝統的な仏教教義を説いても余り「受けなかった」という。あくまで、アレンジされた「精神の奔放さ」を肯定するものでなければならなかったようである。チベット仏教では中観という極めて難解な仏…

ドンファン・シリーズ

かつて「精神革命(精神世界)」の本として有名を馳せたシリーズである。日本でいうならば修験道にでも弟子入りした、というところか。今回、物足りなく感じたのは「教」が無いところである。「事(修法)」での体験のみで、教学がない。マヤなどの高位の神…

八卦游身掌

中華八卦拳教材にある八卦游身掌を用いて、導引の如くに身体を開くことができる。中華形意拳教材の五行拳(三才式)では「肺、腎、肝、心」を開き、それを強化(五行拳)することが、できる。これらを統合するのが中華太極拳教材である。

中段の構え

武術の根源とは、要するに「中段の構え」にあるようである。これを如何に完成させるか、にある。形意拳では、ひたすらこれを練る。五行拳はその変化に過ぎないし、十二形でも中段の構えを基本としている。八卦掌において、必ずしも正確な歩法が伝えられなか…

続・繭としての身体

孫禄堂が、八卦を「鉄糸球」に例えているのは面白い。因みに形意は鉄球、太極は皮球である。私見によれば、これは糸の太さで表現した方が、より妥当であると思われる。太極が極細の針金、形意が太く、八卦はその中間である。勿論、太極においても「太い針金…

繭としての身体

『方丈記』には、その庵を「蚕の繭」と表現している。ヤキ・インディアンの呪術師・ドンファンも、繭のような霊的なエネルギーに人間は包まれているという。確かに勁を練った人は、そうした「繭」の「糸」の間隔が詰まっているように感じられる。套路を練る…

還精補脳

内丹術では「還精補脳」をとくが、これを考える上でエストロゲンなるホルモンが重要な働きを有しているようである。エストロゲンとは、性ホルモンとして性行動を支配しているとされる。一方、脳の発達や発育にも大きく関与しているという。詳しくは『脳を活…

套路との対話

先ずは套路の「声」を聞く。 その方法は師の導きに依る。そして「対話」を始める。それは套路に含まれている概念を具現化することである。具現化された概念は、日常生活に還元される。これは日常生活における「気付き」となる。

師傅は門にまで導く

師が導けるのは、門までである。形を教えることはできるが、それを「感じる」ことを教えることはできない。 「感じ」には個人的な部分が含まれる。その「感じ」は套路によってある程度の枠組みはある。 それを外れると、師はそれを指摘する。弟子は「感覚」…

扣歩の意義

アマゾン地域のシャーマンには「親指を向かい合わせした」強力な霊力を持つスピリットのあることを教えている。これは扣歩の真義そのものである。陰陽八盤掌では、馬歩トウ功にこれを用いている。

風を生じる

呉鑑泉が套路を打つと「風」が生じたという。八卦拳でも走圏の時に「風」を感じることがあった、とされる。慢練で蓄積された情報が、そのまま快練で打たれると、ゆっくりしているようでも「速い」動きになっている。高速で回転しているものが止まったように…

陳発科の推手

馮志強は陳発科と推手をしていたら気分が悪くなって吐いてしまった、という。これは陳発科が時間と空間を制御していたからである。こうした状態において相手は、現在、起こっていることを捉え切れないで、心身に異常な反応が起きることとなる。中山博道も、…

植芝盛平の忍術

植芝盛平は大阪の道場で「忍術」を見せたという。それは取り囲まれた中、突然にその輪を抜け出し、側の階段に坐っていたとされる。その間、植芝の姿を見た者は居ない。これも時間と空間の制御によってなせる業であろう。勿論、ビデオで撮っていれば姿は写っ…

快練と慢練

マヤのシャーマニズムでは「時間」が重視される。驚異的な天文学を発達させたマヤ文明ならではである。快練と慢練で同じ量の情報を保持できているなら、これは時間を縮めたことになろう。大概は速く動くと、情報が抜け落ちる。慢から快への進展は時間を制御…

マヤ分明 聖なる時間

マヤのシャーマンを訪ねて、その世界観を紹介している。稀に見る良書である!このところ中南米の神話やシャーマニズムの本をよく読んでいる。因みに、これらには「葉巻」も出てくる。一晩中、葉巻に火をともして燃え尽きさせない方法とは?蛍を先に留まらせ…

太極拳の套路

楊家では、一般には一つの套路のみが知られているが、内部では長拳、小架など、幾つかの練り方が提示、研究されていたようである。また、董英傑は快拳を編み出している。鄭曼青は簡易式を創案した。楊家においても套路は決してひとつではなかったのである。

虚霊頂勁 その4

クンダリニーの覚醒を主眼とするクンダリニー・ヨーガは、その覚醒において心身のバランスをとり難いため、多くのアーサナ(体位法)を取り入れたハタ・ヨーガが作られるようになった。やはり心身の調整を行いながら行を進めていくには、瞑想だけでは難しい…

続続・虚霊頂勁

虚霊頂勁は、ヨーガでいえばクンダリニーの覚醒にあたるが、太極拳はここから始まる。通常の武術であれば、最後に位置するようなところから始められるところに太極拳の難しさと特殊性とがある。