2004-07-01から1ヶ月間の記事一覧
一霊とは直日(なおひ)のことであるが、これは先天真陽の気のことでもある。全てはこの一霊、おおいなる「一」から始まり、ここに帰結するのである。
これは鎮魂法の大家であった本田親徳の唱えていたことで、植芝盛平もよく口にしていた。本田は出口王仁三郎の師でもある。この概念は太極拳や八卦拳を練る時には実に参考になる。
奥義を外形において示したものが酔拳である。内において示しているのが太極拳である。酔拳は歴史的な発展経緯が明確ではない。奥義としてごく一部のグループのみに伝承されて来たのではないか。故に真伝が失われて、套路のままに闘うように誤解されたりして…
酔拳には酔八仙人の套路がある。八卦掌にも八仙過海の套路がある。 八仙過海は、推太極拳のことである。これは「太極掌」といえるかもしれない。 つまり、酔拳は拳法の奥義を示しているものなのである。
最近とみにアフリカの選手の走る能力の高さがいわれている。それは日本人等に比べて腰骨が少し後ろに引いた位置にあるかららしい。この腰を作るのにタントウ功があるし、袴を穿く習慣があったのである。合気道などでは初心者には袴を穿かせないところが多い…
斯界の権威・林巳奈夫の著書である。副題は「中国古代の神々」となっており、青銅器に見られるデザインの解釈を試みたものであるが、要するに「確たることは分からない」ということが書いてある!しかし、実に多彩なデザイン(象徴)のあったことが分かる。
セゾンカードのCMに、大車輪をしている老人が出ている。野末実という人で1936年の生まれ、独学で大車輪が出来るようになり、現在は連続20回できるとか。人間あなどれないものがある!
学研から『中国武術の本』が発売された。簡便に中国武術を概観できるようになっている。 一般向けで、新しいことは余りない。ただ驚いたのは最後の陳家太極拳を紹介したところで、太極拳纏絲精図が出ていることである。これは既に述べたように陳家太極拳の奥…
鶴山晃瑞が出した太極、形意、八卦に関する入門書である。鶴山は八卦で出ており、これは佐藤金兵衛から学んだものである。面白いのは、八卦の用法の解説を大東流で行っているところ。 無理がある!
大東流は会津藩に伝えられていた「御式内」なるものが源流とされる口伝があったようである。今回、メール・マガジンで考察を加えている「合気と呼吸力」では、御式内の実態について解明を試みている。それにしても鶴山晃瑞というひとは面白い人物だと改めて…
もうひとつこれに必要なのは「捨己従人」である。親鸞は「源空(法然)に騙されるのなら地獄に落ちても構わない」と語っている。孫中山先生も「信ずることで力が生まれる」と述べている。自らの信じた道をひたすら歩む。ここに誠のある稽古が成立する。
道元は、これを重んじた。これは現在、厳しい禅の修行を表す言葉とされているが、そうではあるまい。ただひたすら坐ることで、滋味が出てくることを教えているだと思われる。一行三昧と同じである。ただひたすら坐るのは、無理をして坐ることではない。
「燃えよ!カンフー」のアクションが意外に実戦に近いのに驚いている。デビット・キャラダインはキルビルにも出ているらしい。「燃えよ!」の頃にはベジタリアンだったとか。今はどうなのだろうか。他に「サイレント・フルート」とかいうのもあった。
かつてビートルズが日本武道館で公演を行おうとした時、「武道館で商業音楽の公演とは何事か!」と、脅迫電話があって、ビートルズはホテルから一歩も外に出られなかったとか。考えてみれば、確かにショーなど行って良い場所ではない。武「道」の凋落がこう…
合気術では利かない技として、 1、押さえられない一箇条 2、抜けられてしまう四方投げ 3、投げられない入り身投げ が、ある。これらは実際には、その通りなのである。何故か。これらは「体」を練るもので「用」を練るものではないのである。 「用」として…
菅さんが、四国遍路の旅に出ているという。韓国などでは不正を働いた政治家が、寺に籠もって反省の修行をすることはたまに耳にする。連休など、よく外遊をする政治家が多いが、遍路旅を義務化すれば、少しは政治の浄化につながるかもしれない。
武術において「精」と「博」を実践するには「所依の套路」を得る必要がある。自分の感性に合うような套路を見つけ、それを根本として、枝葉を茂らせるのである。こうした套路に出会うまでは探求の旅を続けるべきである。
形意五行拳の横拳の歩法も酔拳に似たところがある。禹歩などもヨタヨタと歩く感じがある。こうして見るとやはり酔拳には隠された部分が多くあるのではないかと思われるのである。
改めて読んでみると、先天、後天の世界がよく書けている。子供の世界には先天のシンボルが未だ活きている。これをうまく掬い上げている。「風の又三郎」などは、先天のシンボルと後天の事象との差、隙間において物語が展開される。
内丹書には先天、後天の気が合一した状態を「酔ったような」と形容していることが多い。或いは、酔拳にそうした視点があれば面白いと考えている。酔拳とは「先天後天合一拳」の意であった、とするならば深いものがある。酔八仙の套路があるのも気になるとこ…
謎の多い神格である八幡神を研究している飯沼賢司の著書である。古代における霊的国防思想がよく書けている。オカルトの分野は、基礎研究の部分でいい加減なものが多い。むしろ、こうした優れた研究者の書いたものの方が参考になる。
武術においては套路を練ることで、基本功を完成させる場合が多い。太極拳のなどは完全に体と用とがひとつになっている套路であるので、これだけで導引と武術のふたつのことを行うことができる。八卦拳の場合は、推掌である。これだけで身体の柔軟性や関節の…
現在、足を挙げたり、柔軟体操をしたりするのを基本功と称しているが、これは童子功と称されるべきものである。基本功には柔功と硬功がある。童子功は、ある程度、年齢を重ねた人には必要がない。余り無理をすると関節を傷めてしまうこともある。童子功は、…
これは『陳氏太極拳図解』の載せられているものであるが、太極拳の大極秘伝である。この本の全ては、この図を敷衍、説明しているの過ぎない。勿論、易や八卦拳の大極秘伝たり得るものであることは言うまでもあるまい。
植芝盛平は「ウイジニ、スイジニと踏み分けて、クニトコタチとこうなるんです」と、言っていた。これは双重の禁忌を述べたものである。ウイジニ、スイジニは泥の神で大地を神格化したものである。この様に陰陽が「合」う形となって初めてクニイコタチ(国常…
スポーツ化に挫折した「中国武術」は、一部の人たちは別として、大勢としてはラジオ体操に近い健康体操として消極的な意味合いしか持ち得ない状況となっている。最終的には楊明時太極拳に戻ってきたわけである。この辺りに楊明時の先見性と、同太極拳の息の…
余りに日本的な楊明時の太極拳は、批判を受け、より「中国」的な表演武術が次いで注目されるようになった。型の演武や、散打など、いろいろな模索がなされたが、空手の選手層には到底及ばず、例え優勝しても空手ほどの権威や名誉を得られないこともあり、中…
日本において初めての「中国武術」は楊明時の太極拳であった。これが広く受け入れられたのは、空手着を着て、人差し指を立てる動きという、きわめて日本的なものが基盤にあったからであろう。本来の太極拳は中指を中心に動く。人差し指を立てるのは剣術の特…
八卦拳の学習はいうなれば、中観、唯識のようなもの。 段階を追って緻密な理論体系を理解、体得していく。一方、太極拳は中核となる感覚を開くことのみに重点をおいている。 この感覚が開けば、太極拳は全くの易行道である。ある意味、八卦拳は顕教的であり…
套路を練っていると、全身の平衡感覚を感じることがある。全てが安定を欠いている中で、均衡を保っている。そうなると見えない中心軸が生じる。