2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

チベットの娘

死霊の供養についての興味深い報告がある。適切な供養が行われないと徳を積めないばかりか返って不幸を招くことにもりかねい。

ネイ勁

ネイ勁とは「入り身」「転換」を細密に行うことに他ならない。「入り身」は入る働き、「転換」はネジル働きである。

根を作る

「落地生根」とは、何処の場所であろうとも地に根を張って生きていくことをいうものである。武術の稽古もこうしたものでなければならない。根を作る稽古で無ければならない。根さえ充分に張って居れば数年後には大樹となることも可能なのである。

硬拳と綿拳

楊露禅が著したとされる「八五十三勢長拳解」には「容易に硬くなり硬拳となりやすいが、決して綿のような軟らかさを失ってはならない」とある。太極拳は綿拳と称されたこともあったらしい。

柔と剛

『太極拳図解』には「太極拳は外面は柔であるが、内実は極めて剛なるもの(至剛)なのである」とある。少林拳では「外剛内柔」となる。

太極拳の核心

『太極拳図解』には「太極拳とは纏法である」であるとある。これは八卦拳においても同様である。

馬歩トウ功

『少林拳法秘訣』には馬歩トウ功が重要であるとして「気を鎮める」「脚力をつける」「気血が上方に留まるのを防ぐ」などを挙げている。

元気論

唐の時代の道士・呉キンの『元気論』には易筋、洗髄、易骨について以下のように述べている。「気を化して血とする。血を化して髄とする。一年で気が変化をする(易気)、二年目には血が変化をする(易血)、三年目には脈が変化をする(易脈)、四年目には肉…

気と力

『少林拳術秘訣』には「肺は気の中心であり、力は気から生まれる」とある。これが呼吸力である。植芝盛平は呼吸力という語を、よく使ったが、それと同じである。呼吸によらない力を拙力という。

内功と技芸

劉殿シンの『形意拳法抉微』の「丹田論」には「技芸に優れようとするならば、丹田を開発しなければならない。丹田を開発するには、先ずは技芸を練らなければならない。丹田の開発と技芸を練ることは表裏一体なのである」とある。見るべき言である。

内家拳

張松渓の内家拳は、後手を主とし、投げ技に優れていたという。これはまさに日本の柔術と同じではないか。この後「内家拳」は途絶えたようであるが、武術史の見地からすれば面白いものがある。

閃展騰ナ

八卦拳の動きをいう言葉に「閃展騰ナ」がある。「騰ナ」とは気の働きをいうものである。李亦ヨの『太極拳論』には「気を煉って神に帰すると、気の勢いは騰ナとなる」とある。これはいわば精神的な速さをいっているのである。植芝盛平のいう勝速霊である。

武禹襄の太極拳解

武禹襄は優れた太極拳書を残している。『太極拳解』には「身体は動くが、心は静かでなければならない。そうであれば気は収斂され、神も伸びやかとなる」とある。「伸びやか」と「舒」とある。捉われの無い精神をいっている。

拳風、拳品

『荘子』には「形は神を宿したものである」としている。そうであるならば、拳の風格も充分に注意して選ばなければならない。低いレベルの拳は、それを行うことで心身に好ましくない影響を生ぜしめる。

武禹襄の太極拳論

「気は鼓トウすべきであり、神は内斂すべきである」とある。気の働きは活発にはなるが、気持ちは鎮まっていなけれならないのである。

天地合気

『黄帝内経』素問には「天地の合気を人という」とある。天の気と、地の気が合わさったのが人である、というのである。これは植芝盛平が見たビジョンとも近いものがる。植芝盛平は古代人と同じビジョンを見ていたのではなかろうか。

平素は気を養うを先にする

『太極拳図解』には「平素は気を養うを先にするを要す。場に臨んでは更に気に順じて行うを要す」とある。危急の場合には、気の動くがままに行動することが大切なのである。

理を以て気を御す

『太極拳図解』には行動の規範として「理を以て気を御す。気を以て理を行う」ことを挙げている。これは実に重要なことである。「理」は後天、「気」は先天の意でもある。古典は、読むたびにこうした重要な言葉を見つけることができる。

太極と両儀

易には「「太極から両儀が生ずる」とある。つまり太極は渾沌と陰陽分化の中間に位置するものなのである。後天の世界では陰陽は完全に分化している。「太極」とは、先天の世界に先天の世界を見る、ということに他ならない。太極拳の含蓄の深さはこうしたとこ…