先天と後天の合一

大東流から「導引術」を見出し、技を選んだのは、植芝盛平の「感覚」であった。それを核として、技法大系を見直すのは「論理」であり、後天の気の働きに依らなければならない。

合気道で開かれたもの

合気道では導引術としての道が開かれた。しかし、大東流には幾つもの導引術としての形があった。これは充分には活かされることはなかった。

旋腕

旋腕は合気道の二ヶ条、四ヶ条、五ヶ条と同じである。 こうしてみると「関節の滓を取る」とされる合気道の関節技の意味と効用がよく分かる。

旋肘

経絡を開く、という意味においては、 旋肘の1は、合気道の四方投げと同じ働きをする。 旋肘の2は、一ヶ条と同じである。 旋肘の3は、三か条と同じである。

伏見稲荷の記

一山すべての参道に延々と列なる鳥居、鳥居!これらは信者の寄進によるもの。「欲望」のエネルギーの形というべきか。ただこれは最も素直な表現であり、一概には否定されるべきものではないであろう。

伏見稲荷参拝記

革靴に背広をまとったいかにも「中小企業の社長」といった感じの人たちが多く参拝しており、一種の熱気と他の宗教施設とは異なる雰囲気を感じさせるものがあった。写真は狛犬ならぬ「こま狐」〜怖い顔をしている

伏見稲荷

神社としては狐「霊」との関係を否定したいらしいが、やはり信仰の面からすれば「おきつね」さまでなければならないらしい。 右の写真は絵馬

自然との一体化

日本では「自然」を観念化することで、自らの脳内に取り込んで一体化をした。中国ではその中に遊ぶことで一体化を求めた。絵画の中に小さな人物の描かれているのは中国絵画の特色である。

当身

当身には剛と柔との違いがあるが、剛の中には柔が含まれていなければならないし、柔の中にも剛がなければならない。「加える」のではなく「含ませる」のである。故に柔術の修業者が空手の練習をしても意味が無いし、空手の修業者がサンドバックを打っても本…

柔術の形

当身から投げに繋げる形は、最も実戦的であるといえる。この意味において日本の柔術は優れた形を残しているのであるが、当身と投げを如何に連続させるか、の秘訣は多くが失われている。

那智滝図

那智滝図は、意識の中の自然を描いたものではなかろうか。神体としての滝は、この世(後天の世界)にあるのではなく、意識の世界(先天の世界)にあるのである。

世界聖典全集

カッパブックスの『合気道入門』にある黄金体化の体験の解説にウパニシャッドが使われているが、これは世界聖典全集に依るものである。埴谷雄高の『死霊』は同全集のジャイナ教典、折口信夫の『死者の書』は、エジプトの死者の書から発想のヒントを得たもの…

皮の球

太極拳の勁は皮の球に例えられるが、これは動作の最後が皮の球を押しているような弾力を感じることをも意味している。これをオーバーにしたのが鄭子である。

玄の力

亡くなる直前に内気は最大の働きをするという。偉大な宗教者が亡くなった時に、時ならぬ花が咲いたり、雷鳴が轟いたり、地鳴りがしたりなど、超自然現象が起こるのはそのせいである。死の直前は「玄」の力に最も近くなっているのである。

黄金体化

植芝盛平の問題点は、最後まで黄金体化の神秘体験から抜けられなかったことである。感覚世界のことはあくまで「虚」でなければならない。

水と火の人

世には水と火、そして金と木の人がいる。大きく分ければ水(男)で火(女)であるが、必ずしもそうとは限らない。木は乾卦、金は坤卦、水は坎卦、火は離卦と考えている。

続・鎮魂石

多摩地区の某市の市長は、所縁の石を常にデスクの隅において、大事なことを決定する時には、これを見てこころを鎮めるという。

コ卦

巽下、艮上そのことを高尚にする。志し則るべきなり。

真言秘密

真言密教は「全てを響き」と見ることが奥義としてある。全てのものはエネルギーの共鳴であるのである。

感覚修行の危険性

イメージ、感覚の修行は、常に「検証」を経させなければならない。こうした修行は往々にして「肥大化」を招くものである。

続・陰打

植芝盛平は、相手の攻撃を「白い光の粒」として見た、という。これは陰打のひじょうに顕著な表れである。

陰打

印打は、陰打である。これは『荘子』の包丁の話と同じ。虚になっている部分を打つのである。

水の呪術と火の呪術

太古、呪術には「火」の呪術の集団と、「水」の呪術の集団があったのではなかろうか。インドの密教などは「火」の集団である。これに対して気などは「水」の呪術である。神道の禊なども「水」である。これがある時に融合する。東大寺のお水取りは、日本の古…

不老不死

仙術では「不老不死」を追究することで「死」を見つめた。「老」「病」「死」を見つめて悟りを得た釈尊と同じ立場にあったのである。

式神

式神とは「抑圧された意識」をシンボライズしたものに他ならない。呪術として式神を使うことは古代の陰陽師をおおいなる幻想の誤謬に導いた。

鎮魂石

石の命はゆっくりと流れる。ゆえに活動は顕著ではない。石も風化して最後には無くなるが、それは人間の死よりもはるかに長い時間の中で起こる。こうしたゆるやかな生命の流れに同化するのに使われるのが鎮魂石なのである。

洞天福地

洞も暗い空間を暗示するものである。「玄」と同じ。日本では「うつぼ」と称された。かぐや姫が竹の節の中に居たのと同じである。閉鎖された闇の空間はエネルギーを増大させる。

特命係長只野仁

ふと見るとコイーバシガレットを吸っていた! これは実に良い煙草である。

行為の体系

套路とは「行為の体系」である。套路を通して自らの「行為」を変えることができる。

呪縛への道

本来の自己を見出す自己開放への道が、修行であるはずなのに、外的な事象に捉われて「呪縛への道」を歩んでしまうことがある。古武道などには顕著に見られる誤謬である。幾ら流派の先人に偉い人が居たとしても自分が即それに重なるわけではない。