続・繭としての身体

孫禄堂が、八卦を「鉄糸球」に例えているのは面白い。

因みに形意は鉄球、太極は皮球である。

私見によれば、これは糸の太さで表現した方が、より妥当であると思われる。

太極が極細の針金、形意が太く、八卦はその中間である。

勿論、太極においても「太い針金」を育てることは必要で、これを「綿中蔵針」で表現している。